自己紹介

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在米ジャーナリスト。オレンジ・カウンティ・レジスター紙で地域行政や調査報道を担当。アメリカで数少ない日本育ちの報道記者として、他にも現地の司法や経済、スポーツなど幅広く取材。住宅バブル崩壊が南カリフォルニアに与えた影響を調査したシリーズ記事で、カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞を受賞。

2009年7月15日

美術の授業を振り返って

小さい頃から、ずっと美術が苦手だった。

小学校、中学校と、ペーパーテストがなかったら、おそらく五段階評価で1か2をもらうくらいに実技の成績が悪かった。美術の教科書に載っている有名な絵を見ても、「へたくそだな。みんな集団詐欺にあってんじゃねーの」としか感じなかった。そのせいで自分は芸術オンチなんだと思い込むようになり、高校や大学ではアート関係の授業を全て敬遠した。

そのボクが、今では仕事で写真を撮り、紙面のデザインを考え、休みには美術館に行っている。もっと小さい頃からアートにたしなんでいたら、更に道が開けていたかもしれないかとすら思うようになった。

全てを学校教育のせいにするわけではない。たかが小学校の先生や美術の教師に作品をけなされたくらいでへこむ自分も大した子供ではなかった。しかし、当時の思い出がちょっとしたトラウマになっていることも事実だ。

一般の公立学校において、美術や音楽に点数をつけることに何の意味があるのか、ボクには理解できない。

小学校の図工の時間に、校庭に行って好きな絵を描いてきなさいといわれた。自分がいいと思った景色を一生懸命描いて戻ったら、先生が、「うーん、ちょっと空の色がおかしいわね」などと言って手直しを加えた。確かに、先生が上手だと褒める子とは色が違う。そういう子の真似をしてみようと思うが、うまくいかず、自分には色の才能がないんだということで納得した。

しかし、アートの本質は自己表現である。同じものを見ても感じ方は一人一人違うはず。他の人と同じように描かせるのでは、本末転倒ではないか。

芸術専門学校なら話は別だが、おそらく卒業生の1パーセントが芸術とは無縁の職業に進むであろう公立学校で、他人との比較に重点を置いた美術教育を行うのには首をかしげざるを得ない。繊細な青春時代だからこそ、子供たちが美術に興味を持ち、存分に自己表現できるような「ゆとり教育」が必要なのではないかと思う。

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