自己紹介

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在米ジャーナリスト。オレンジ・カウンティ・レジスター紙で地域行政や調査報道を担当。アメリカで数少ない日本育ちの報道記者として、他にも現地の司法や経済、スポーツなど幅広く取材。カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞、オレンジカウンティ記者団協会の調査報道賞などを受賞。ジャーナリズムコンテストの審査員を務め、アメリカの大学生や高校生にライティングやジャーナリズムの指導も行う。

2010年2月27日

裁判担当記者の辛いところ

悲しいことに、ハイデザートは殺人や強盗、ギャング関連の裁判には事欠かない。

人口の急増とともに治安も悪化し、ビクタービルの凶悪犯罪率はロサンゼルスを上回る。地元の裁判所はまるで犯罪のデパートだ。

昨日・今日は、二人組みによる酒屋への強盗未遂の裁判を取材。普通なら強盗未遂くらいでは大きな記事にはならないのだが、この事件では以前シリアの警官だったという店員がカウンターの下から拳銃を取り出し、強盗犯に発砲して追い払ったため、わざわざ裁判を傍聴しに行った。被告人の一人は腕とお尻に弾が命中して怪我を負い、腕にギプスをして出廷していた。

もう一人の被告人は、銃器を所持していなかったということで、懲役16ヶ月と比較的軽い刑が言い渡されたのだが、同時に以前起こした未成年との性行為に対しても刑が宣告されてしまった。年下の彼女と同意の上だったようだが、カリフォルニア州では18歳未満との性行為は法律で堅く禁じられている。弁護人の話では、犯人は法定強姦をとても恥じていたようだが、強盗未遂事件と同時に刑が言い渡されたため、新聞にでかでかと報じられることとなってしまった。

運悪くもボクの後ろの席に、この犯人の母親が座っていて、息子の事件を嗅ぎまわっているボクに対して何かと警戒心を示してきた。ただでさえ息子が刑務所に入るのを悲しんでいるのに、新聞に大きく名前と犯行が載るのは辛いことである。かといってボクも事実を書かないわけにはいかないので、毅然とした態度をとった。

裁判担当の仕事が、既に懲役という社会的制裁を受けている者に、更なる公開処罰を与えているのではないかと、ふと疑問に思うことがある。取材した裁判の犯人が服役を終えて出てきた時に、ボクのことをどういう目で見るのかちょっと気になる。

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2010年2月24日

もし自分が被告人だったら

母親と娘、その元ボーイフレンドが共謀して父親を殺害したとされる裁判を取材している。

事件は五年前に起こったのだが、検察官や弁護人が何度も入れ替わり、裁判が今まで長引いてきた。三人とも殺害への関与を認めたものの、父親の家庭内暴力を理由に、これまで無罪を主張していた。それがボクが偶然傍聴していた公判で、母親と娘が突然有罪を申し立てたので、こっちはびっくり。

法廷を飛び出し、編集長に電話をかけて、インターネットで速報を流した。カメラマンにも急いで法廷へ向かうように伝えた。カリフォルニア州では、判事の許可をとれば、法廷内での写真やビデオの撮影が可能なのである。

このままいけば、母親(41)は第一級殺人罪で禁固25年から終身禁固、娘(22)には第二級殺人罪で懲役15年から終身禁固の不定期刑が宣告される。

二人の選択を事前に知らされていなかった様子の元ボーイフレンド(21)は、目を真っ赤にして静かに泣いていた。彼は被害者に後ろから近づいてバットで撲殺した張本人とされている。この裁判をずっと追ってきたという被害者の友人は、公判後にボクのところに来て、彼が泣いた姿は初めて見たと驚きを口にした。

被告の娘と男性は、事件当時まだ高校生だったが、大人として裁かれてきた。17歳のときに犯した一つの過ちが、その後の人生を決めてしまう。まだ幼さの残る二人が、オレンジ色の囚人服を着て法廷内に座っている姿を目の当たりにして、自分がその立場にいたらどういう心境なのかを想像せずにはいられなかった。楽しい大学生活、目の前に無限に広がる可能性などは全て消え去ってしまう。

判事や検察官、弁護人が時に機械的に進める裁判だが、そこには死や人生といったドラマがあることをひしひしと感じた。

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2010年2月23日

アジア人はみんな同じに見える

つい二週間前までジーパンで職場に行くことすらあったのが、今や毎日スーツで出勤。10年前に購入したスーツだけではもたないので、大金を出してもう一着購入した。

記者には比較的ラフな格好をしている人が多いが、司法担当や政治担当は、周りに合わせてスーツを着ることもある。ボクもルーキーだからこそ、検察官や弁護士に、少しでもこっちがプロであるという印象を与えなくてはならない。彼らの中に混じって浮かないことが大切だ。

今朝さっそく新品のスーツ、シャツと靴で裁判所に行ったら、五、六人に弁護士と間違われてしまった。ある男性など、ボクを見るなり「ミスター・リー」と声をかけてきた。

ボクがキョトンとした表情をして見せると、ようやく勘違いだと気づいたようだ。

「以前、子供の養育権争いで世話になった弁護士に似ている。ロサンゼルスの裁判所で働いている人がビクタービルにいると思ってびっくりしたよ」と言われた。

おそらくその弁護士との共通点は、東洋人であることくらいだと思うが、彼らにはみんな同じに見えるのであろう。

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2010年2月22日

そう甘くはない

報道で働き始めて二週間。ようやく仕事の内容や裁判所の様子が分かってきたので、若干ながら取材の緊張も安らいできた。その一方で、自分に求められている仕事の重責を感じ始めるようになってきた。

自分は一般ニュースの報道については素人で、これまで裁判制度について何の興味や知識もなかったと編集長のドンに説明したからと、たかをくくっていたのが甘かった。新人だからといって、特別扱いはされない。新聞が生き残りをかけて苦闘している中、ボクに研修や猶予期間を与える時間やお金などあるはずない。経験したことが無い、大学で勉強したことがないなどという言い訳が通用するほど甘ったれた世界じゃないのだと、やっと気付いた。

単に法廷に行って、命じられた裁判を取材するのがボクの役目ではない。裁判所で目にしたことや聞いたこと、インターネットや新聞、専門誌で取り上げられた情報をもとに、自ら記事のアイデアを掘り出さなくてはならない。陪審員に召集されることがどれだけ生活の負担になるのか、不況の影響は刑事裁判や離婚裁判にどんな影響を及ぼしているのかなど、ネタとなる疑問を常に考え出していく必要がある。

裁判所では常に大事件が起こっているわけじゃない。だから待っているだけでは、ノルマである一日に二つの記事を書くことは到底無理な話。

他の記者よりずっと未熟だからこそ、早く結果を出さなくてはならない。

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2010年2月17日

アジア人でよかった、、、と久しぶりに思った

昨日は初めて特定の裁判を取材した。これまでは前任者からの引継ぎが済んでいなかったので、関係者に顔を売る程度の気持ちで裁判所に通っていた。

どんな裁判ケースを取材すればいいのか、最初は検討もつかなかったが、ようやく先が見えてきた。新聞で取り上げた強盗・殺人事件については、なるべく動向を追うようにするが、それだけでは内容に偏りがでる。コーヒーをこぼして火傷し、マクドナルドを訴えるといったような、読者の興味をそそる面白い裁判を見逃してしまうこともある。

そこで重要になるのが人脈。裁判所に常駐する検察官や公設弁護士はもちろんのこと、裁判所の目と耳ともいえる、事務官や門衛との信頼関係を築かなくてはならない。彼らとの何気ない会話からネタを得るのだ。

昨日の朝は、二つの裁判を傍聴するはずだったが、別々の部屋で行われていたため、片方は見逃してしまい、もう一方は散々待たされたあげく、弁護人が現れずに延期になるという始末。どちらの裁判も、まだ形式的な段階で、すぐに記事にする必要はないので助かったが、訴訟国家とも言われる米国の現実を垣間見ることとなった。

一度にこれだけの犯罪者を目にしたのは生まれてはじめてのこと。殺人やギャング抗争、性犯罪に麻薬など、これまで映画やテレビでしか見たことのなかった世界が、一つの建物に凝縮されているのが信じられない。まだ高校生にも見える男の子が、麻薬関連で最長4年の刑を受ける可能性があると判事に言い渡されるのを聞いた時、大学の4年間を刑務所で過ごす自分を想像して身震いした。また別の男性は、以前裁判所に出頭するのを忘れたためか、門衛に廷内で手錠をかけられて拘置所へ。人の人生を左右するような出来事が淡々と行われている光景が衝撃的だった。

見逃したケースについて一応確認するため、公設弁護士のオフィスへ行くと、ロビーには弁護士を自費では雇えない人々であふれていた。受付に記者だと伝えると、すぐに担当の弁護士を呼んでくれた。やってきたのは何とアジア人。ラオスからの移民だという。受付では何だからと、彼のオフィスに場所を移した。

ボクがアジア人だったのが嬉しかったようで、裁判についてど素人だと伝えると、初対面にも関わらず裁判制度について細かく説明してくれた上、裁判所取材のコツまで伝授してくれた。うざい記者に付きまとわれるのを嫌がり、連絡先を簡単には渡さない関係者もいる中、彼は「アジア人同士だから、何かあったらいつでも連絡して」といって、名刺に携帯番号まで書いて渡してくれた。久しぶりにアジア人でよかったと思った瞬間である。

ビクタービルの裁判所では、公設弁護士に二人、検察官に一人と、アジア人は圧倒的なマイノリティー。だからこそ仲間意識が芽生えるのかもしれない。しかも偶然にも、最も有力な判事が日系人というので、近いうちに会って親しくなれたらと思う。

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2010年2月16日

諦めちゃダメだ

報道に移ってから一週間が経った。

正直言うと、新しいことのオンパレードで、ストレスが溜まって食欲がなくなり、少し痩せた。裁判という未知の世界に放り込まれ、しかも英語。特に最初の数日間は、不思議の国のアリス状態だった。まるで、スタートラインがどこだかすら分かっていないランナーである。

毎日、1,2本の一般ニュース記事を書きながら、裁判関連の取材をしなくちゃいけないので、時間がいくらあっても足りない。残業は原則禁止なので、仕方なく家に帰って、仕事の続きや翌日の準備をする。起きている間は常に仕事のことを考えていた。

本当に自分に裁判担当など務まるのかと、何度思い悩んだことか。

しかしよく考えてみると、ボクの感じているストレスというのは、失敗することでプライドや自信が傷つけられることへの恐怖や、他人の評価を気にする自意識から来ている。周りにどう見られるかよりも、記事を書き上げる達成感や、全く新しい分野への挑戦で湧いてくるワクワク感を味わうべきだと、週末に自分に言い聞かせた。

実際、ストレスが溜まる一方、充実感も大きい一週間だった。大学でジャーナリズムを専攻したわけじゃない自分は、報道記事の書き方に関してはまるで素人。読者がどんな情報に関心があるのかという、ニュース価値の判断も慣れていない。編集長のドンが記事を校閲するのを、横に張り付いて観察する日々が続いている。自分は真っ白なキャンバスで、そこに少しずつ絵を描いている感覚に近い。

今の仕事では日本語が話せること、日本で育ったことは、何のプラスにもならない。むしろ英語が母国語でないこと、アメリカで育っていないことは大きなハンデ。しかも大学院に入るまで、記者になるなど微塵にも思ったことはない。高校野球部に、スポーツをやったことがない素人が入部したようなもの。

これまで自分は比較的楽な道を選んできた。だからこそ、自らチャンスに飛び込んだ今回は、諦めずにやり遂げたい。

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2010年2月11日

現実のHERO

初めて一人で裁判所に行った。目的は検察官へのあいさつ回り。判事や陪審員は進行中の裁判について話すことはできないので、検察官や弁護士は貴重な情報源である。

検察官という人種と話すのは、これまた初めてのことで(運よくまだ逮捕の経験はない)、キムタク主演の『HERO』くらいしかイメージにない。忙しいカタブツの集まりだと勝手に思い込んでいたため、会うまではちょっと緊張していた。

しかし裁判所の一角にある地方検事のオフィスに入ると、そこは『HERO』に出てくる東京地検とは似ても似つかない明るい部屋。受付の女性たちも公務員のはずなのに愛想がいいではないか。

昨日、裁判所の廊下で偶然会って、案内を引き受けてくれた検事補佐長のゲーリーが、笑顔で出迎えてくれた。ビクタービルの裁判所では結構な数の検察官や事務官が働いていて、全員のオフィスを回ったが、とても一度では名前と顔を覚えきれない。みんながみんな親切なので、こりゃ試されてるのかなとすら思ってしまった。地域に新聞社が一つしかなく、裁判所に常駐する記者はボク一人だというのも、理由の一つかもしれない。

編集長のドン曰く、彼らは家族のように仲間意識が強いという。確かに、こんな職場で働きたいと思うくらい和やかな雰囲気である。中にはボクと同い年くらいの美人検察官もいて、正直うらやましい。毎日、辛抱強く通い続けて、いつか彼・彼女らの信頼を勝ち取りたい。

あいさつ回りやゲーリーとの会話を通して、裁判所担当の記者に必要なのは、法律の知識よりも、裁判システムを理解することだと感じた。ほんと、勉強することだらけである。

週末は『HERO』と『Law & Order』でも見て過ごすかな。

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2010年2月10日

なんちゅー初日

報道部での初日は、複数の目覚ましのおかげで朝6時に起床。こんなに早く起きたのはいつ以来だろう、なんてことを言ったら、企業人に怒られてしまうに違いない。

一番乗りでオフィスに着いたが、報道部のドアが開いていないのでしばらく待つはめとなった。

直属の上司となる編集長のドン(いかにもボスらしい名前)が出勤してくるなり、昨晩、近くの山中で起きた、父と子の心中他殺事件を取材するぞと言われる。警察の公式発表によると、男性が共同監護権を持つ4歳の息子とともに、ガードレールに突っ込み、その後に拳銃で息子と自分を撃ったとのこと。一週間ほど前にも同じような事件があったので、真似をしたのではないかと思われる。

こっちは自分用の机さえ決まっていない状況で、はっきり言って何をしていいのかさっぱりである。一足先に報道部へ移っていたベテランのデーブがオフィスに残って電話で取材をし、ボクとドンは裁判所に行って、事件の父親が関わった裁判の書類に、使える情報がないかを調べることになった。

ドンから裁判所担当になるかもしれないと聞かされていたが、正直、自分の法律や裁判の知識は小学生並みである。記憶が定かなら、日米合わせて、裁判所というものには、一度しか行ったことがない。しかもそれは、友達が交通違反のキップを払うのに連れ添っただけ。小学生の頃くらいに、将来弁護士になりたいかもという、淡い想いを抱いたこともあったが、それはNBA選手になるという無謀な夢によってかき消された。

ドラマや映画でさえ裁判ものは小難しくて苦手だというのに、現実世界の裁判など取材できるのかという不安が大半を占める一方、これまで知らなかった世界に飛び込めるというワクワク感も少なからずある。ドン曰く、裁判所の担当は人脈が全てだというので、取材力を磨くにはもってこいという見方もできる。

裁判書類から必要な情報を書き取った後は、ドンが裁判所の中を案内してくれた。彼は以前、ロサンゼルスの大手紙で裁判所担当の記者をしていたので、裁判取材には人一倍思い入れがある。普段は口数が少ないのに、この時ばかりは熱く取材のコツについて語り始めた。有力な検事を廊下で見かけた時は、二人そろってトイレの中まで付いていき、用を足しながら会話にこぎつけ、自己紹介をした。

ようやくオフィスに戻ったと思ったら、今度はデーブとカメラマンと一緒に、裁判書類に記載されていた家族の住所にインタビューに行くことになった。胸がつぶれる思いをしている家族に話を聞かなくてはならないのが記者の辛いところだ。

記載されていた住所は、一軒は別の住人が住んでいて、もう一軒は荒廃した空家になっていた。近隣住民に聞き取り取材を行い、事件の家族についてびっくりするような情報を得ることができ、記事の内容は思わぬ方向へと向かった。

オフィスに帰って、デーブとドンと三人でミーティングを行い、話の筋を確認し合った。ボクは裁判所で得たメモを文章にして、本文を執筆するデーブに渡し、今度はインターネット検索で得た番号に片っ端から電話して、最後の事実確認。報道部での初記事が、尊敬するデーブとの連名なのは嬉しい。

始業から終業までほとんど休息なしと、初日とは思えない充実度。いっぺんに色々な情報が入ってきたので、緊張しっぱなしだったけど、これぞ取材という経験ができた。警察が公表していない話を、インターネットや公文書、インタビューで得た点の情報をつないで明らかにしていくのは、まるで探偵の仕事。

スポーツ記者とは、また違った楽しさがある。

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2010年2月9日

最終日

真夜中にスポーツ部での最後の勤務を終えた。朝8時には報道部での業務が開始である。

これでもう当分、スポーツの試合を取材することも、紙面をレイアウトすることもない。

昨日はずっとデスクワークで、仲良くなった監督たちから電話がかかってくるたびに、別れの挨拶をした。苦情を言われることもあったが、今となってはそれもいい思い出。これからは休みの日に、一人のファンとしてスポーツを観戦しに行こうと思う。

シフトが終わった後、オフィス前の駐車場で、同僚のC.J.と握手と抱擁を交わした。C.J.とは二年間、机を並べて苦労や喜びを分かち合ってきた。報道部はスポーツ部の隣の部屋にあるから、翌日も顔を合わせる。それでもボクらの間には、別れの空気が流れていた。

この二年間があったから、今がある。それを忘れずに新しい生活を楽しみたい。

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2010年2月8日

こんな風でいかが?

ありふれた見出しになってしまったけれど、とりあえず入稿。紙面をレイアウトするのは明日で最後になる。朝方に生活を変えるため、早く寝なくては。

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スーパーボウルの見出し

今日は同僚数人とスーパーボウルを自宅で観戦するため、早めに職場で仕事をしてから、長めの昼食休憩をとっている。

ハーフタイムにWhoがコンサートを行なったのだが、恐らく僕らの年代の視聴者は「あのオッサンたち誰?」と思ったに違いない。

前半は予想を裏切るロースコアな試合展開。ラスベガスで必死になっているギャンブラーの姿が想像できる。

試合後にすぐオフィスに戻って紙面をレイアウトしなくてはならないが、大きな試合で困るのは凝った見出しを考えなくてはならないこと。新聞をフレームにいれて飾る読者もいるくらいなので、普段のようにはいかない。

運悪くもこんな日に一面の担当になってしまい、頭が痛い。母国語でさえ難しいというのに、英語で洒落たニュアンスを含んだ見出しを考えるなんて。スポーツ部での最後の大仕事になりそうだ。

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2010年2月4日

待っていては職はやってこない

来週、ようやく報道部へと移ることが決まった。代わりの人材を雇うまでおよそ2ヶ月。長かった。

アメリカの企業というのは、日本と違って新卒の一斉採用がないので、ポジションに空きができたら求人広告を出す。今のような不況下では、一つの空きに対して、新卒からベテランの中高年者までが応募をしてくるので、競争は熾烈だ。

アメリカでは性別や年齢で応募者を差別することは法律で禁止されている。実際、履歴書で顔写真の添付や性別、生年月日の記入を求めてはならない。自ら空きを探し、能力や経験を積極的に売り込んで、大学を卒業したばかりの応募者もシビアに給与の交渉をしなくてはならない、まさに実力社会である。

スポーツ部が雇ったのは、バーストウという町で発行されている姉妹紙でスポーツ編集長(聞こえはいいが、他に記者はいない)を勤めていたマットと、全米でも有名なノースカロライナ大の学生新聞でスポーツ編集長をしていたという新卒のデイビッド。マットは既にうちのシステムには慣れているし、デイビッドもMLB.comでインターンをしたり、フリーで雑誌に記事を寄稿したりと、なかなか優秀なようである。

米国では、新聞やメディアにとどまらず、ほとんどの業界において、一つの会社で一生を終えるというのは、もはや昔話となっている。

新聞業界に限って言えば、ほとんどの新卒は小さな地方紙で数年ほど働いて、実践しながら基礎を学ぶ(財政的にも日本のような新卒向けの研修を行っている余裕はない)。キャリアアップを目指す記者は、そこから中規模紙、都市部の大規模紙へと移っていくことで、昇給や昇進を目指す。内部での昇格が言い渡されるのをただ待っているだけでは、取り残されてしまうのだ。ボクもジャーナリストの求人サイトを見ていて、偶然、社内での空きを見つけて応募した結果、異動が決まった。

報道部では主に土・日が休みで、朝9時から5時までという一般的なシフトになる(いわゆる9-to-5 job)。スポーツ部では平日が休みで、午後からのシフトなので、今が最後のチャンスとばかりに、近くのスキー場へと通っている。ロスから近いため、週末は峠道が渋滞になるほど混雑してしまうのだ。

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2010年2月2日

我が家にテレビがやってきた

NFLの決勝戦、スーパーボウルが日曜日に行われる。

この時期になると、試合を少しでも高画質で見ようとするファンのおかげで、高精細テレビが飛ぶように売れるという。我が家も何と、先日昇進を果たしたルームメイトがプラズマテレビを購入。

一人で住んでいた時は、一年間テレビが無い生活をしていた。そこから昨年はルームメイトの持ってきた巨大なブラウン管テレビ、そしてついにスマートなHDTVと、急速なアップグレードである。昨晩、新しいテレビでHD放送を見たときは、昭和30年代に初めてカラーテレビを見た子供のような感激を受けた。ようやく現代人の仲間入りをした気分だ。

しかし、ルームメイトは何もスーパーボウルが目的ではなく、明日の夜に最終シーズンが始まる『ロスト』を高画質で見たいという理由で衝動買いした。映画オタクの彼は、ブルーレイで映画を見るためにプレステ3もゲット。

まさにルームシェアの素晴らしさを身をもって感じる瞬間である。


テレビ一台で部屋の雰囲気が変わるから不思議なものである。左右の棚にはルームメイトのDVDコレクションが並ぶ。

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