自己紹介

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在米ジャーナリスト。オレンジ・カウンティ・レジスター紙で地域行政や調査報道を担当。アメリカで数少ない日本育ちの報道記者として、他にも現地の司法や経済、スポーツなど幅広く取材。カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞、オレンジカウンティ記者団協会の調査報道賞などを受賞。ジャーナリズムコンテストの審査員を務め、アメリカの大学生や高校生にライティングやジャーナリズムの指導も行う。

2011年12月8日

あれから70年

12月7日と聞いて、何かが思い浮かぶ日本人は少ない。

しかし、アメリカでは、日本にハワイ真珠湾攻撃を受けた日として、第二次世界大戦を経験していない者が大半の現在でも、7月4日(独立記念日)や9月11日(同時多発テロ事件)と並んで特別な意味を持つ。

フランクリン・ルーズベルト大統領は、攻撃の翌日に行った演説の中で、1941年12月7日を「屈辱の日」と呼び、米国民の日本への敵意を煽った。


日米開戦前に行われたルーズベルト大統領の議会演説は、アメリカで最も有名なスピーチの一つである。

ボクがこっちに来てから6年が経つが、これまで日本人として、一度もあからさまな差別を受けたことはない。友だちや退役軍人のおじいさんに、真珠湾攻撃をネタにしたジョークを飛ばされるくらいだろう。

米国民に多大な衝撃を与えた出来事から70周年の今日、日本人のボクが、アメリカで他の人と同じように受け入れられている喜びを噛み締めている。

差別や屈辱を乗り越え、自由と権利を勝ち取った日系人の方々の努力に感謝すると同時に、ジャーナリストとして差別や偏見に立ち向かうことを改めて心に誓った。

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2011年12月4日

米国流結婚式

最近、毎月のように結婚式がある。

先月は従兄弟と親友が結婚するのに合わせて、日本に一時帰国した。祖母は式の間中、ボクのおかげで二人がくっついたと感謝を述べつつ、次はトモヤの番だねと繰り返していた。

そして新年が明けたら、できちゃった婚をする友だちの式に、タキシードを着て付添人として出席する。ハリウッド映画なんかで、新郎と新婦が誓いをする際、横に立っている男女たちがそうである。

ようやく米国ウェディングにも慣れてきて、日本との違いが見えてきた。

こっちの若いカップルは、結婚式用のホームページを作って、式の案内はもちろんのこと、出会いやプロポーズの秘話なんかも載せる。10月に式を挙げた同僚のブルックは、ウェブサイトではなく、新聞を刷って、式の前に招待客に送っていた。二人の結婚までのストーリーを同僚記者が取材して記事にし、新郎と新婦がお互いの人物紹介記事を書く。広告やクロスワードパズルまで取り入れる凝りようだ。



贈り物には、小切手を渡すか、カップルがあらかじめ選んでおいた欲しいものリスト(registryという)から注文するのが一般的。貧乏記者には助かることに、日本のお祝儀に比べると額は少ない。新郎・新婦との関係などにもよるが、友だちなら100ドルくらいが一般的。

式は日本に比べると、もう少しバラエティーがある。フォーマルな式を好む人もいれば、形式にとらわれないウェディングを望むカップルも多い。大学院時代のルームメイトは、大学フットボールチームのテーマに沿った演出を散りばめていた。

参加者の服装も思い思いで、中には普段着と変わらない格好でやってくる人もいる。ブルックの結婚式では、新郎と男性の付き添い人たちが、白のタキシードにお揃いのサンダルをはいて結婚の誓いを行った。


ただし、どの式にもダンスはつきもので、ボクは当初はひるんでいたものの、最近では羞恥心も吹き飛び、周りの苦笑を買いながらも硬い腰を奇妙にくねらせ、ダンサーたちの輪に入っていくようになった。


細かな習慣の違いはあれど、新郎や新婦の一生忘れられないような式にしたいという気持ちは、どの国でも変わらない。

学生ローンに苦しむブルックは、少しでも安くあげようと、業者にはいっさい頼まず、一年をかけて手作りの結婚式を準備した。食事やカメラマン、DJなどは、友だちや知り合いに頼んで回り、花やその他のデコレーションはほとんど自分たちで作ったという。式が迫ってきたある日、緊張と準備からくるストレスで、ブルックが仕事中に涙を流す場面も。その苦労を知る者としては、式でことさら感動してしまった。

ちなみにボクは、男性版のブーケトスである、ガータートスでは今のところ二連勝中である。若い頃にバスケで培ったリバウンド力と、飢えたオオカミのような集中力を発揮している。にも関わらず、その効果は全く現れていない。

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