自己紹介

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在米ジャーナリスト。オレンジ・カウンティ・レジスター紙で地域行政や調査報道を担当。アメリカで数少ない日本育ちの報道記者として、他にも現地の司法や経済、スポーツなど幅広く取材。カリフォルニア新聞経営者協会の経済報道賞、オレンジカウンティ記者団協会の調査報道賞などを受賞。ジャーナリズムコンテストの審査員を務め、アメリカの大学生や高校生にライティングやジャーナリズムの指導も行う。

2011年6月29日

草むしり文化についてちょっと補足

前回のエントリーを読み返して、「石の上にも三年」ということわざが頭に浮かんだ。

大辞泉では、「冷たい石の上でも3年も座り続けていれば暖まってくる。がまん強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ」だと紹介されている。

これって、冷たい石の上に3年も座っていたら、いつの間にか居心地がよくなって、別の場所に移る気力がなくなるってことにもとれる。

草むしり文化は、人をコントロールしなきゃならない企業や政府にとって都合のよい価値観である一方、実は我慢を実践する人にも、proactiveな決断から逃れる言い訳に使えてしまう。

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2011年6月28日

起業を阻む日本の「草むしり文化」

日本を離れて暮らしていると、美徳としていた価値観が絶対的ではないと気づくことがある。「我慢」がいい例。書き初めなんかだと、クラスで数人は選ぶ言葉。東日本大震災では、世界の人に賞賛された日本人の忍耐力だけど、考えずに無駄な我慢ばかりしていると、幸せや運が逃げていってしまうこともある。

こんな記事を読んだ。日本に起業家が少ないのは、求められる社会適応スキルに、くだらないことでも我慢してこなす力が含まれているからだというのが筆者の主張。

多くの国では、「好きなことだけをやって生きていけたらすばらしい!」というのが一般的な感覚です。ところが日本には、「やりたいことだけをやる」生き方を「わがまま」とか「不道徳なこと」とネガティブにとらえる社会通念があるのです。そして「人間は我慢が大事」とか、「好きなことしかやらないような奴は、人間ができてない」とさえ言われます。
こんな考えがあるかぎり、日本がシリコンバレーみたいになることはありえないでしょう。「嫌なことでも我慢すること」が「社会的に優れた資質」と見なされるような社会では、「自由に好きなことを追求しよう!」「くだらないことに耐え忍ぶのは人生の無駄だ!」という価値観を持つ人はアウトローであり、時には反逆者扱いされてしまうのですから。
 (連載「ちきりんの"社会派"で行こう!:日本に起業家が少ない理由」

これを読んで、高校野球の草むしりの文化が頭に浮かんだ。部員が100人近くいる名門野球部で、試合に出られるのは10人程。一年生はよほど上手でなければ、外野で球拾いか草むしりをして一年の大半を過ごす。この苦難を乗り越えられたものが、二年生になっても部活を続ける権利を得る。三年生になってもベンチ入りできる人数は限られているから、ほとんどの部員はスタンドで応援することになるが、それでも辞めないことが美しいとされる。

これがアメリカの高校だったら、まずはトライアウトで、ベンチにも入れないような希望者はふるい落とされる。チームに残れても、スタメンになれないと分かったら、野球に見切りをつけて、自分の能力が活かせるスポーツだけに集中する生徒も多い。ほとんどの学校には、新入生だけを集めて練習や試合をするjunior varsityというチームがあるから、一年を無駄にすることもない。これは個人だけじゃなくて、スポーツ界全体にとっても合理的な方法で、才能や人材の配分が日本よりも効果的に行われる。

職場でも似たような光景が見られる。日本では、下積みを経て、初めて一人前の社会人になれるという考えが浸透している。どんなに才能がある人でも関係なし。ボクも日本での部活動や仕事を通して、知らぬうちにそんな価値観が身に付いてた。オフィスでは、人が嫌がることを文句も言わずにやるんでありがたがられるけど、そのせいでチャンスをつぶしてるって思う時もある。

米国の職場だと、たとえインターンの学生でも、時間の無駄だと思う雑用をやらされ続けたら、さっさと辞めてしまうことがある。我慢することで希望の職につけるのなら別だが、先も見えないで嫌なことを続けるのは意味がないという発想。これは怠慢な人だけではなくて、野心の強い人にも見られる。

「やりたいことだけをやる」生き方は甘いと言われるけど、それを実践するのは「嫌なことでも我慢する」よりずっとエネルギーや努力が必要なのかもしれない。

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2011年6月13日

守るべき自由

ロータリークラブの友情交換プログラムでやってきた四人のアラブ人にインタビューした。彼らの目から見た、国際情勢、米国の姿を記事にするのが目的である。

参加者は皆、いかにも中東全土がテロの巣窟であるかのように報じる米メディアに不満を抱いていた。特にケーブルニュースは、事件の起きている場所にカメラを集中させ、センセーショナルに繰り返し映像を流す傾向にある。

また、エジプトの大手携帯電話会社で働く男性は、自社のモバイルサービスを利用する若者の手によって革命が起きたことを誇りに思っていると語った。

インタビューの最後に、ロータリーの代表者から、参加者の名前を伏せて記事を書いてくれないかと頼まれた。彼らの安全を守るためだという。うちの新聞を含め、アメリカのジャーナリズムでは原則、匿名の使用は許されない。上司と相談した結果、今回に限って名字を伏せるということで合意した。

ところが、記事を書き終わってから、参加者の一人から掲載を差し止めてほしいとのメールが来た。既にネット上に記事が掲載され、印刷も始まっているため、そんなことはできない。翌朝には、代表者からネットから記事を削除してほしいとの電話をもらった。どうやら参加者たちが、自国政府からの報復を恐れているらしい。ある女性は、不安によるストレスから吐いてしまったという。

結局、ボクの書いた記事をちゃんと読んだ参加者たちが、これなら大丈夫と判断したようで事態は収まった。

アメリカ人や日本人が当たり前の権利として享受する言論の自由だが、中東では自分の思っていることを表現することは危険の伴うことなのだという。実際にどれだけの弾圧があるかは別にして、市民に植え付けられた政府への「恐怖」が自由を奪っていることは間違いない。

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